Cartographer 2聡 竹内2023年8月7日読了時間: 4分更新日:2023年8月7日まるで、おぼろな急流のごとく、 青ざめた扉を抜けて、 忌まわしき群れは次々と走り出で あざ笑う ――― されどもはや微笑むことはない。――― エドガー・アラン・ポオ「幽霊宮」ショーウインドウに僕らが集まっていると、中からおばちゃんが出てきた。年齢不詳の顔立ちの不思議な雰囲気を持った店主だったが、明るい笑顔で声をかけてくれた。初めてやるならこれが良い、と赤茶色のシンプルなボックスを指差した。買ってすぐに始められるしルールブックも付いているらしい。何箱かある中から三人でそれぞれ一箱を選び、おばちゃんにお会計をしてもらった。お店を出てすぐに児童公園があったので、僕らはここで中を開けることにした。入り口にちょうど3本立っていた車止めに腰掛けて三角形で陣取った僕らはドキドキしながら封を開けた。カードを取り出すとすぐにインクの匂いが強く香った。古い洋館の書庫に居るような気がした。そんな所行ったこともないのに。最初の20枚ぐらいは「平地」とか「沼」と名の付いた風景画のカードだった。以降は宗教画のようなグロテスクで生命力溢れたものや、アボリジニーのような土の質感の民族画のようなもの、初見じゃ何が描かれているの分からないくらい輪郭がぼんやりした抽象画まで様々あった。カードの名前は硬めの明朝体の文字で「当然の報い」、「適者生存」「プラデッシュの漂泊民」などと書いてあった。読み方も意味も難しいものばかりだった。一部のカードには知らない人の詩の一節が書いてあったりしたが、おそらくゲームには直接関係ないテキストのようだ。味付けということだろうか。カードの下の方に英語で誰かの名前がクレジットされていた。この絵を描いた絵師の名だそうだ。僕らはお互いどんなカードが当たったかを見せ合いっこした。しかしどれもどうやって使うのかは分からない。帰り道の記憶はほとんどない。カードのことで頭がいっぱいだったのかもしれない。長旅に感じた道を同じだけ漕いだはずなのに、すぐに僕らの町まで帰ってきた感覚だった。キミリンとコウヤとさよならして家に帰ってから、同封のルールブックを開いてみた。カードと同じくらいの小さなブックレットだった。難しい用語や大人の言葉が小さい文字でびっしり書いてあり、ルールを掴もうとしたがすぐに読み疲れてしまった。ルールブックの他に小さなストーリーブックも付いていた。登場人物は軍人(おじさん)やミノタウルスやゴブリンで、彼らは僕が今日買ったカードの中に名前やイラストで既に登場していた。カードの世界ではドラマがあり、そのシーンの一つ一つがカードとなっていた。一枚に描かれているタイトル、色、機能、イラスト、エピソード。そこからゲームへの活用方法や背景の物語を想像した。その日を起点に、僕らはゲームに熱狂した。対戦するたびに、カードパックを一つ買い足すたびに新しい疑問が生まれた。その度にみんなで「このテキストはこういう意味なんじゃないか」「このカードはすごい使い方ができるんじゃないか」と推察し合っているだけで楽しかった。目線の高さが変わったが、僕が見てる景色は確かにあの日の河川敷だった。砂利道は真っ平らなアスファルトに舗装され、大きな高速道路が広かった空を覆い尽くしていた。僕はすっかり大人になり、ギャザで遊ぶことははるか昔にやめてしまった。キミリンやコウヤにももうずっと会っていないし、育ってきたこの町からも移ってしまっていた。でも、僕は未だにたくさんのカードを持っている。カードに出てきた言葉やイラストのモチーフとふと出くわす度には思い出し、それをwebで調べたりした。スマートフォンで遊ぶ子供達を横目に、友達ではなく新しいパートナーと共にあの時の道を歩いた。すぐに大きな通りに出ると、その模型屋はあの時のままそこにあった。お店の扉をゆっくり開けると鈴が鳴り、おばちゃんが出てきた。25年前とさほど変わっていない顔立ち。相変わらずの年齢不詳ぶりに安心した僕は、小さな模型を買ってお店を出た。ふと気になってGoogleで実家からここまでの距離を調べた。あの日僕らが勇断した冒険譚は、片道たったの3.4kmだった。